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世界遺産ホイアンの至宝             ~日本橋の歴史と美を巡る~

  • 執筆者の写真: 宜生 玉田
    宜生 玉田
  • 3月14日
  • 読了時間: 7分


ベトナム中部ダナン市から30㎞南の港町世界遺産ホイアンにある「日本橋」、正式名称は「来遠橋(Cầu Lai Viễn)」は、その長い歴史と文化的背景に深く根ざした重要なシンボルです。

特に、ゴルゴ13のストーリーにおけるベトナム戦争時のホイアンの描写は、多くの人々にこの地域の歴史的な側面を思い起こさせるかもしれません。


来遠橋の両端には犬の像と猿の像が祀られており、橋の真ん中には「どん坊」と呼ばれる祠があります。


これは単なる財神(Thần Tài) とは異なります。

ホイアンの「どん坊」は、ベトナム語では「Ngôi chùa Nhật Bản」または「Chùa Nhật Bản」と呼ばれることが一般的です。これは「日本の寺」という意味です。

また、どん坊に関連する特定の祭壇や祠を指す場合は、「Đồn Bò」とも名付けられています。

もし具体的に「どん坊」という名称を直接ベトナム語に訳す場合は、文脈に応じて「đồn」や「bò」という語を使い、より明確に表現することも可能ですが、一般的には「Ngôi chùa Nhật Bản」や「Đồn Bò」が使用されることが多いです。



犬と猿の像は、古来より日本において徳と保護を象徴する存在とされており、この意義は日本の古典文学や風習に見られます。特に犬は忠実さ、猿は知恵を表現します。(犬)は「徳」を意味し、(猿)は「知恵」を象徴するとされており、これらが集まることで、商業取引が安全に行われることを祈願する役割を果たしていたと考えられます。


さらに、来遠橋の中央に位置するどん坊は、商売繁盛や交易の安全を祈る神として重要視され、特に日本人の商人にとっては心の拠り所となっていました。このように、来遠橋は単なる交通手段に留まらず、日本人商人の文化的、霊的な交流の場でもあったことが伺えます。また、中国語では来遠橋を「来遠橋(Lai Yuan Qiao)」または「日本桥(Ri Ben Qiao)」と呼ぶことが多く、その名称も日本人との結びつきを反映しています。


### 日本人と中国人の歴史的関係


ホイアンを見渡すと、福建省の大使館跡地(福建会館Fujian Assembly Hall)や中国建築が見られ、関羽像や龍のモチーフの彫り物が多く存在していることから、ホイアンが当時の中国商人にとっても重要な交易地点であったことがわかります。しかし、日本人の墓がある一方で、中国人の墓はほとんど見当たらないのは興味深い事実です。


ホイアン新市街には日本人のお墓が3ヶ所存在しますが、中国人のお墓がないのは、航路の過酷さと利用目的の差によるものと考えられます。具体的には、当時の日本-ホイアン航路は、四国や関西地方から出発し、長い航海が必要でした。朱印船での渡航には、一ヶ月~三ヵ月以上かかることも珍しくなく、死を覚悟しなければならないほどの長旅でした。


一方で、福建省からホイアンまでの航路は比較的安全であったため、中国商人が頻繁に行き来していたものの、死亡した場合には故郷に土葬されることが一般的であったため、ホイアンに中国人のお墓が少ないのです。商売のために危険を冒す必要があったわけではなく、福建からホイアンへの航路はその利便性から商業活動が盛行しましたが、それが現地に定住する理由とはならなかったのです。


### ホイアンにおける日本人の文化の影響


ホイアンに日本人のお墓が存在することは、当時の人々がホイアンを第二の故郷として認識していた可能性を示しています。この地域で過ごした日本人たちは、交易の場としてだけでなく、この土地に愛着を持ち、精神的な結びつきを深めていたのでしょう。また、仏教観から生じた遺体の埋葬文化が影響しているかもしれません。


ホイアンにある日本人のお墓の中で特に有名なのは次の3点です。

1.谷弥治郎兵衛の墓(1647年建立の墓石)谷弥治郎兵衛は、ホイアンで商業活動を行った日本の商人の一人であり、彼の墓は当時の交易活動の重要性を物語っています。商業繁盛を願って建立されたこの墓石は、訪れる人々に敬意を表されています。

VNエクスプレスより抜粋
VNエクスプレスより抜粋

2.蕃二郎の墓(1665年建立の墓石)蕃二郎は、日本からホイアンに渡って成功した商人で、その墓は彼の功績を讃えるために建てられました。彼は地元の人々との信頼関係を築き、交易の発展に寄与したことで知られています。墓の所在地は、多くの観光客が訪れる場所となっています。


3.具足君の墓(1629年または1689年建立の墓石)具足君は、ホイアンで活動していた日本人商人の中でも特に名を馳せた人物で、彼の死後に建立されたこの墓は、商業活動だけでなく文化交流においても重要な役割を果たしました。彼の功績を後世に伝えるため、この墓は今でも多くの人々に訪れられています。



関羽像や龍といった中国文化の象徴は、商売と安全、権威を示しています。

朱印船貿易時代において、中国からホイアンまでの航行は、航海技術の進化や地理的条件により約2週間から1ヶ月の間で行われました。これに対し、日本人商人は長い距離を渡航し、死を覚悟するような挑戦をしていたため、ホイアンで亡くなることがあったのです。


### 現代におけるホイアンの保全活動


これらの背景を踏まえ、現在では国際協力機構(JICA)や文化財保護団体が、日本の文化を体現する名所としてのホイアンの保全活動に力を入れています。日本の伝統的な建築様式や商業文化を尊重し、その重要性を広めることで、次世代に伝えていこうとする意義があるのです。ホイアンは日本人にとって、単なる観光地ではなく、深い歴史と文化的な結びつきのある特別な場所であると言えるでしょう。


このように、ホイアンの日本橋は単なる建物ではなく、歴史を語る重要な証人であり、市民や観光客に愛され続けている存在なのです。



### シルクロードとホイアンにおける交易の興味深いエピソード


ホイアンは、かつてのシルクロードにおける貴重な貿易拠点の一つとして知られていました。この道は、東西の文化が交差し、多様な商品の交流が行われていた廊下であり、特に14世紀から17世紀にかけてその影響は絶大でした。富裕層や経営者にとって、その歴史的背景には多くの興味深いエピソードが存在します。


#### 交易品の多様性と希少性


ホイアンにおいては、特に「絹」が重要な交易品として知られています。中国の絹は、その滑らかさと美しさで高く評価されており、日本の商人たちはこの絹を手に入れるために長い航路を行き来していました。例えば、江戸時代の日本では、絹は一反(約12メートル)が500~800両(当時の貨幣単位)で取引されており、非常に高価な資産とされました。この価値の高さから、絹は「白い金」とも呼ばれ、貴族や富裕層がその富を示す手段として用いることが多かったのです。


また、ホイアンを経由して日本に輸入された品々には、香辛料(特に黒胡椒やシナモン)や陶器もありました。陶器は「越南陶器」として知られ、その美しいデザインは多くの日本の家庭に珍重されました。シルクロードを通じて取引されたこれらの品々は、平和な時代だけでなく、戦国時代などの tumultuous(トゥマルトゥアス)な時代にも行われ続けました。


#### 有名な人物たち


ホイアンにおいて商業活動を行った多くの日本人商人の中でも、特に有名な人物が前述した「谷弥治郎兵衛」です。彼は江戸時代前期にホイアンに移り住み、地元の商人や閩商(福建の商人)との交易を通じて巨大な商業ネットワークを築き上げました。谷弥治郎兵衛は、その知恵と人脈により、日本とベトナム、さらには中国との貿易を活発に推進し、その商業成功によって多くの富を築きました。


彼の成功の鍵は、現地の文化や商慣習を理解し、地域の人々と良好な関係を築くことでした。この姿勢は彼だけでなく、他の日本人商人たちにとっても共通した成功の秘訣でした。このように、単に商業に従事するだけではなく、文化的な調和を図ることができた商人が成功を収めたのです。


#### 地名の重要性と交易路のアクセス


シルクロードの一部としてのホイアンの位置は、地理的に非常に戦略的でした。ホイアンは、南中国海に面した自然の良港であり、ダナンからホイアンへの内陸水路「トゥボン川(Thu Bồn River)全長約60㎞」も利用されていました。ここを通じて、馬や牛、象を利用し広域交易が行われた時代もありました。

具体的には、ホイアンからは、長江や南シナ海を経て中国沿岸地域にアクセスも可能でした。地元の商人たちは、南部のメコンデルタ地域からも物資を運び入れることで、シルクロードにおける交易の幅を広げていきました。


このような交通網は、ホイアンに集う商人たちにとって、さまざまな文化や商品に触れる機会を増やし、経済的な成功を導く要因となりました。


#### 現代への影響


現代のホイアンには、その交易の名残として多くの文化的遺産が残されています。日本人墓地や来遠橋のほか、古い商業地区には当時の面影が色濃く残り、日本とベトナムの深い繋がりを再発見する旅は、特に富裕層やビジネスリーダーにとって、文化や経済の観点からも新たなインスピレーションを提供するものです。商業活動がいかに国境を越えて人々を結びつけてきたのか、その一端を余すところなく感じることができるでしょう。



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