top of page

ベトナムの礎チャンパとは何なのか

  • 執筆者の写真: 宜生 玉田
    宜生 玉田
  • 3月12日
  • 読了時間: 3分

### ミーソン遺跡の謎とチャンパ王国の影

ミーソン遺跡は、かつてチャンパ王国が栄えた8世紀前後に建設されたとされる場所です。しかし、そこには解明されていない数々の謎が隠されています。この遺跡は、単なる居住地ではなく、神聖な儀式の舞台だった可能性が高く皿にはチャンパのアイデンティティと異なる非合理性が見て取れます。


気候は熱帯モンスーン。雨季は暴風雨に見舞われ、やがて湿度の高い環境が広がります。

この土地は果実や穀物の発酵に適しており、果実酒や米酒が日常生活の中で重視されていたことが推測されます。

しかし、この地域でヒンドゥー教を信仰していたという説には矛盾が潜んでいます。

ヒンドゥー教では特定の動物、特に牛は神聖視され、食材としての利用を制限されがちです。

こうした背景から、チャンパ王国の食文化の実像は一面的ではなく、興味深い議論を呼び起こしています。


ミーソン遺跡には、驚くべき事実が隠れています。

まず、高度な下水システムが見当たらず、貝塚も存在しません。

そして最も不思議なのは、人骨が一切発見されていないことです。勿論、酸性土壌であることや、戦争によって一部破損した事も起因していることは確かだが。

 これらの事実は、ミーソン遺跡がただの住まいではなく、祈りや儀式に特化した聖なる場所であったことを示唆しています。

また記述言語を持たないにも関わらず、碑文に記載されたサンスクリット語が残されており、チャム族を統治していた新クラスの存在の謎がある。


チャンパ王国の歴史は、北ベトナムや周囲の王国との抗争というドラマに満ちています。13世紀から15世紀にかけて、この王国は次第に力を失い、最終的には遠くチャム島へと追いやられる運命を辿ります。その過程で、様々な文化や影響が交錯し、王国のアイデンティティは複雑に変わっていくのです。


興味深いことに、ミーソン遺跡とアンコールワット遺跡には類似点があります。

どちらもヒンドゥー教に関係する素晴らしい彫刻や寺院が特徴的ですが、使用される素材や建築様式には違いが見られます。

特に、チャンパからは竹やわらぶき屋根を用いた粗末な生活様式が想像されており、海の近くでの漁業や農業が主要な生計手段だったと考えられています。

これにより、聖なる場であるミーソン遺跡が、日常の穏やかな生活と祈りとの間で揺れ動いていたことが浮かび上がります。


さらに時代は流れ、ベトナムがフランスの統治下にあった時期でも、チャンパ王国の名残は消えることはありませんでした。

その影響は、今日のベトナムダナン市から南に位置するチャム島などのベトナム文化にも見て取れるといいます。


こうした多くの謎や矛盾に囲まれたミーソン遺跡は、

単なる過去の遺物でなく、押し寄せる歴史の波の中で、未だ解き明かされることを待ち望んでいるかのようです。今後の研究が、チャンパ王国の魂をより深く理解する手助けとなることが期待されています。ミーソン遺跡の背後に潜む物語は、まだまだ終わりを迎えてはいないのです。

Comentarios


PItoPI Payment posible Now 

©2025 powered by DX-Labb

bottom of page